チャート式ポップカルチャー

チャートやプレイリストから現在の音楽や映画を眺めるブログ

(コラム)この20年の日本の音楽フェス文化

遡ること50年程前、67年6月16日から18日までの3日間にカリフォルニアで行われたモントレー・ポップ・フェスティバルや、69年8月15日から17日までの3日間にニューヨークで行われたウッドストック・フェスティバル以降、世界中で様々な音楽フェスが開催され、今尚盛況を見せています。

 

ここ日本においてもその歴史は古く、69年の時点において8月9日と8月10日には中津川フォークジャンボリーが、9月22日には10円コンサートとも呼ばれるニューロック・ジャム・コンサート(ウッドストック・フェスティバルを実際に体験したギタリスト成毛滋さんが主催)が、そして9月28日には第一回日本ロック・フェスティバル(この年に創刊されたニュー・ミュージック・マガジンが主催)が開催されています。

 

また、郊外の野外で大規模開催されるという点では81年のロックンロールオリンピックや、日本初のオールナイト開催となった87年のビートチャイルド(数年前に映画化されたことでも記憶に新しいところです)などもエポックメイキングなフェスと言えるかもしれません。

 

しかし、現在日本で定着している様なフェスの雛形は97年から00年頃に築かれた様に思えます。

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97年、富士山の麓で開催された第1回目のフジロックは台風が直撃し嵐の中で行われ、2日目は中止となるなど、その過酷さは語り草となっていますが、このフジロックが特別だったのはやはりその出演者の豪華さにあります。

開催された1日目だけでもレッド・ホット・チリ・ペッパーズレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンフー・ファイターズエイフェックス・ツインなど当時世界トップクラスの人気と実力を誇る出演者が揃っていました。

それだけに、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンレッド・ホット・チリ・ペッパーズの間に挟まれたザ・イエローモンキーは日本を代表するロックバンドとしての意気込みが空回りした形となり(ヒット曲を排除した様なセットリストや嵐の中での観客の過酷さなど様々な原因がありますが)、後の解散の何パーセントかはフジロックが原因とまで言うほどでした。

 

一方、97年にはもう1つ象徴的なフェスがあり、それはハイ・スタンダードが企画したメロコアラウドロックを中心にストリートカルチャーを推し出したエアジャムです。

こちらはフジロックの様に海外の音楽フェスを日本でも開催しようというよりは、前年に開催されたヒップホップイベントのさんピンキャンプや大LB夏祭りの様に、そのカルチャーを浸透させる為の色合いが強かったのかもしれません。

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翌98年もエア・ジャムは開催され、フジロックにはブランキー・ジェット・シティミッシェル・ガン・エレファントが出演しますが、この年は奇しくも両フェスが東京の豊洲で開催されています。

 

そして99年にはエアジャムが開催されなかった代わりにハイ・スタンダードがフジロックに出演、そしてブランキー・ジェット・シティのマネージャー藤井努さんとミッシェル・ガン・エレファントのマネージャー能野哲彦さんが発案、そしてロッキング・オンの協力によりライジング・サン・ロックフェスティバルが開催されます。

第1回のライジング・サン・ロックフェスティバルはそれまでのフジロックに出演する様な国内のバンドと98年の世代を集めた様な豪華なラインナップとなっており、更にはオールナイトというのも大きな特徴でした。

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この年は97年からの流れからすると、パラレルな印象もありますが、フジロックに限って言えば、これ以降開催地が新潟の苗場となったり、開催日が2日間から3日間となったり、現在のフジロックの形ができたと言える年です。

 

00年のフジロックではブランキー・ジェット・シティ(既に解散が発表された後で、解散ツアーが終わった後の最後のライブとなりました)とミッシェル・ガン・エレファントの2組がプレイマル・スクリームと並び、ヘッドライナーを務めます(現在でも国内のミュージシャンでフジロックのヘッドライナーを務めたのはこの2バンドのみです)。

一方、エアジャムではこのライブをもってハイ・スタンダードが活動休止することとなります。

更には、前年のライジング・サン・ロックフェスティバルで得たノウハウを活かし、ロッキング・オンが自社でロック・イン・ジャパン・フェスティバルを開催することになるのですが、梯子を外された形となるライジング・サン・ロックフェスティバルとは因縁を残すこととなります。

そして、98年に東京で行われたフジロックとイギリスのレディング&リーズ・フェスティバルを参考にした様なサマーソニックもこの年から始まっています。

 

という様に、この時期のフェスというのは今よりも洋楽に対して対抗心や憧れというものがあったと思うのですが、00年のフェスの状況を振り返るとフジロックで日本のバンドがヘッドライナーを務めたこと、そしてエアジャムでのハイ・スタンダードの活動休止による伝説化によって、ある種フェスに対する憧れの中に必ずしも海外のバンドが必要ではないという流れができたのではと思えます。

そんな年に共に都市型であり、上記で言えば両極にあるロック・イン・ジャパンとサマーソニックが始まっているのは面白いところです。

 

話はズレますが、00年までのフジロックにおける海外のバンドに日本のバンドがいかに対抗するかという様な価値観は99年に連載が始まったハロルド作石先生の『BECK』に色濃いものだと思います。

 

さて、平成最後となる今年の夏ですが、それに相応しくノーベル賞受賞者ピューリツァー賞受賞者とグラミー新人賞受賞者が日本にやってきます。

つまりフジロックにはボブ・ディランとケンドリック・ラマーが、サマーソニックにはチャンス・ザ・ラッパーが出演します。

今年の4月にカリフォルニアで開催されたコーチェラでのビヨンセの素晴らしいライブも記憶に新しいのですが、そんな素晴らしいライブを日本でも観られることを期待したいと思います。

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