チャート式ポップカルチャー

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(エッセイ)完璧な完結編としての『トイ・ストーリー3』のその先を描いた意義

 

トイ・ストーリー4』を観ました。

完璧な完結編であった『トイ・ストーリー3を越えているかと問われると答えに困るところですが、あの完璧な円環構造をほどき、その先を描いた意義は間違いなくあると思わされた作品でした。

 

 

平成生まれの私にとって、『トイ・ストーリー』シリーズは子供の頃から何度もビデオで再生し、『トイ・ストーリー3』が公開された年に成人を迎え、まさに6才のボクが、大人になるまでの期間、アンディの成長と自身の成長がシンクロするかのように共に歩んできたシリーズです。

そこから9年、いよいよ親視点が芽生えてくる年齢に差し掛かってきた今、『トイ・ストーリー4』はまさに親となる年齢を迎えた私たち『トイ・ストーリー』世代に向けられた作品なのだと思いました。

 

また、この9年間で一番の大きな変化としてノーカントリーフォーオールドメンだったはずのアメリカがその反動からか、今やドナルド・トランプが大統領になってしまっています。

そういった時代背景も重なり、幻想の中にある古き良き強いアメリカの象徴としてのカウボーイであるウッディに焦点が当てられたのは必然であるように感じます。

 

 

今作のウッディはおもちゃというよりも、親世代となった『トイ・ストーリー』世代の代弁者としての視点が強調されています。

ボニーとフォーキーを見守るウッディはまさに子育てをする親の心情そのものでありながら、どこか子離れできない雰囲気を漂わせています。

また、中年の危機のごとく自身のアイデンティティが揺らぐ様は、近年のクリント・イーストウッドや『ローガン』でのウルヴァリンにも連なる、時代の変化にとり残される不安感やノスタルジーを捨てきれない姿とも重なり、一方では『トイ・ストーリー』シリーズのファンの心理のようでもあります。

 

ファインディング・ドリーのごとくあまりにも人間界に影響を与えすぎな描写などツッコミどころもあったり、ウッディに焦点をしぼった結果、正統な続編というよりも『ローガン』のように『ウッディ』というタイトルにした方がしっくりくるなど、色々思うところはありますが、トイ・ストーリーシリーズと共に育ってきた世代が直面している現実の中で、子どもの成長を見守りながらも親としても価値観をアップデートし続けることを描いた『トイストーリー4』は完璧なエンドのその先の物語として意義があるように思います。