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(コラム)『スパイダーマン』ホーム3部作が私たちに突きつけるもの

本文は『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』のネタバレを含みます。

作品をご覧になった上でお読みください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

MCUにおけるスパイダーマンは、私たち大人が解決してこなかったことや目を背けてきたことに常に巻き込まれ続けてきた若者、つまり現在のZ世代を象徴している。

スパイダーマンMCUに初登場した作品『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』ではピーター・パーカーは分断する社会にいきなり放り出される。
単独作の1作目である『ホームカミング』で敵対するヴィランは、新自由主義的経済により生み出された経済的弱者の側である労働者であり、大企業に仕事を奪われた存在である。
そして、2作目の『ファー・フロム・ホーム』で敵対するヴィランもまたスターク・インダストリーズを解雇され、社会や会社から疎外された者たちである。
また、そこで狙われたのはピーターに何の説明もなく受け渡されたトニー・スタークの遺品であり、武器でもある「E.D.I.T.H.」だ。
更に『ファー・フロム・ホーム』から顕著に表れるのが、フェイクニュースポストトゥルースにより混乱し、何を信じればよいのかわからない私たちの心情そのものだ。

『ファー・フロム・ホーム』直後から引き継がれる『ノー・ウェイ・ホーム』ではフェイクニュースに踊らされた一般市民の暴走にも近い行動が映し出される。
その様はまるで私たち日本人が熱に浮かされたかのように追いかけた小室圭さんに対するメディア報道を含めた行動の写し鏡ようだ(試験の合否結果にも影響を及ぼす)。
しかしながら、このような現実に直面しながらも若者であるピーターは社会に対する恨みを持つには至らない。
『ノー・ウェイ・ホーム』でマルチバースの蓋が開いたきっかけを生み出した動機は、親友の前途洋々な未来が潰えてしまうことに耐えられなかったからであり、社会に対する不安や個人の境遇への不満からではない。
本来責任を負うべきはずである私たち大人が見て見ぬふりをしてきた問題に理不尽に巻き込まれながらも、知性とユーモアでどうにか解決しようとアクションしてきたのがトム・ホランドスパイダーマンなのだ。

さて、今作『ノー・ウェイ・ホーム』のラストで救済されるのはかつてのヴィランたちであり、かつてのスパイダーマンたちである。
一方、トム・ホランド演じるピーターは社会の秩序を取り戻す為に親友も恋人も家族も生活も全てを犠牲にする。
そこでは私たち大人だけが救済され、若者だけが犠牲を払っているかのようにみえ、なんとも居心地が悪くなってしまった。
果たして、私たち大人が解決できず、目を背けてきた問題を若者たちだけに直面させ、犠牲を払わせていることに感動してスッキリしていいのだろうか。
少なくとも今現実にある問題は若者よりも長く社会の中で暮らしてきた私たち大人にこそ責任があり、全てZ世代以降に丸投げなんてことはできないはずである。
かつての若者だったはずの私たちも問題を問題としてしっかり受け止めなければならない。
ピーターの苦くも大人な行動は私たちの背中を押している。