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(コラム)第91回アカデミー賞と『ROMA』

いよいよ明日、日本時間では午前8時半から第91回アカデミー賞が開催されます。

 

今回のアカデミー賞の中でも特に注目されているのが『ROMA』という作品です。

この作品は『トゥモロー・ワールド』や『ゼロ・グラビティ』でもお馴染みのアルフォンソ・キュアロン監督の映画なのですが、この作品がどのように扱われるかによって今後のアカデミー賞の行方を左右し、ハリウッド映画の構造にも影響を与えるかもしれません。

 

どういうことなのかと言えば、この『ROMA』という作品はNetflixによる作品の為、最優秀作品賞の最有力と言われる一方で、最も最優秀作品賞から遠い作品とも言われているからです。

基本的にハリウッド映画の祭典であるアカデミー賞は興業としての映画を盛り上げる為のものです。

『ROMA』はアカデミー賞のノミネート規則であるLAの映画館で7日間以上公開された40分以上の作品という基準は満たしてはいるものの、依然としてNetflixはハリウッド映画界にとってはかつてのテレビのように映画館を中心とする興業を衰退させかねないものという見向きも強いのです。

 

一方、この10年間は映画とドラマの両方が接近していった時代でもありました。

マーベル・シネマティック・ユニバースを代表とするような大バジェットの映画がドラマのように一本で完結することのないユニバース化が進む中、作家性やこだわりの強い映画はインディーでしか作ることができないという二極化が進む中で、『ブレイキング・バッド』や『ハウス・オブ・カード』、『ゲーム・オブ・スローンズ』など、クオリティと製作規模も大作映画に劣らないドラマシリーズが生まれたことで、ドラマで製作できる作品の幅や市場が広がり、かつNetflixAmazonなどのプラットフォームも育っていったこともあり、二極化した映画の製作現場の間を取り持っていたのも、ドラマやNetflixという新しいプラットフォームでした。

 

しかしながら、フランス人であるリュミエール兄弟こそが映画の始まりであるという歴史的観点が根強いカンヌ国際映画祭では、劇場公開のない配信を主とする作品をエントリーの対象として認めないと主張している様に、映画というものの再定義が求められているタイミングなのかもしれません。

とはいえ、ヴェネチア国際映画祭では『ROMA』が金獅子賞を獲得したり、ゴールデングローブ賞ではかつてからテレビドラマ部門があるなど、映画界だけでもドラマや劇場公開のない配信作品への距離感は賞レースによってもまちまちで、ここでも分断が起こっているように思えるのも正直なところです。

だからこそ、このタイミングのアカデミー賞が『ROMA』をどのように評価するのかは非常に注目すべき点なのです。

 

さて、『ROMA』という作品はメキシコを舞台にし、言語も英語ではないスペイン語であり、更にはモノクロ映画という現在のハリウッド映画としてはなかなか製作しにくい作品でもあり、実際ハリウッドの商業映画としては資金が集まらず、Netflixの資本下でこそ製作することができた、まさにドラマによって広がった製作体制を象徴する様な作品です。

また10年代に入り、特にここ数年のアカデミー賞を振り返ってみると、アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督の『バードマン あるいは (無知がもたらす予期せぬ奇跡)』やギレルモ・デル・トロ監督の『シェイプ・オブ・ウォーター』など、アルフォンソ・キュアロン監督を含めたチャチャチャ・フィルムを立ち上げたスリーアミーゴス・オブ・シネマの3人のメキシコ出身監督周りの活躍は凄まじいものがあります。

 

近年のアカデミー賞グラミー賞は単なる授賞式というよりも、社会に対していかにメッセージを残し、どの様な立場を表明するのかという部分も注目されがちです。

その中でうまくいく部分もあれば、改善される余地も多々あります。

ですが、今回のアカデミー賞では様々な壁がある様に思えるからこそ、そんな壁をどんどん壊していってほしいなと思っています。

ブラックパンサー』のラストの演説のように橋をかけるのがメキシコ側からだったなら、そんな痛快なことはないですよね。