チャート式ポップカルチャー

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(コラム)平成のポップカルチャーとしての松本人志

上田慎一郎監督作『カメラを止めるな!』の勢いが止まりません。

当初上映館は都内の2館のみの公開でしたが、口コミが口コミを呼び、今や全国225館を超える上映館数で上映が予定されています。

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さて、この上田慎一郎監督が『アフター6ジャンクション』に出演していた際に、影響を受けた4人として松本人志さん、吉田戦車さん、三谷幸喜さん、宇多丸さんの4人を挙げていました。

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ワイドナショー』に出演した際には、松本人志さんがズルぎみな休みをした為、惜しくも共演とはなりませんでしたが、上田慎一郎監督に限らず松本人志さんというのは平成という時代を通して非常に影響力のあった存在だと言えます。

大雑把に言ってしまえば90年代の松本人志さんは時代の寵児であり、お笑い芸人の中でも最も面白いカリスマ的存在、00年代は彼が面白いと評価するものが最も面白いものとされていた時代と言えるのではないでしょうか。

 

ダウンタウンが本格的な東京進出を果たしたのは『森田一義アワー 笑っていいとも!』のレギュラーになり、『ダウンタウンガキの使いやあらへんで!』が放送開始された89年、つまり平成が始まった年であり、一方『オレたちひょうきん族』が終了し、北野武さんが映画監督デビューをした年でもあり、そういった点でもお笑い界にとっても大きな転換点と言える年と言えます。

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91年には『ダウンタウンのごっつええ感じ』が放送開始され、その人気はうなぎ登りとなっていくわけですが、そのピークは94年か95年頃でしょう。

94年には入場料1万円のコントライブ『寸止め海峡(仮)』が開催され、出版された『遺書』は250万部を売り上げ、95年には武道館で行われた料金後払い制のたった1人による大喜利ライブ『松風’95』を開催し、出版された『松本』は200万部を売り上げます。

またこの時期には1993年に始まった『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』をきっかけに坂本龍一さんや小室哲哉さんとGEISHA GIRLSH Jungle with t(「WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント」の間奏やアウトロ部に松本人志さんが参加しています)といった活動も展開し、お笑いシーンに限らず音楽シーンにも大きなインパクトを与えます。

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97年には『ダウンタウンのごっつええ感じ』が終了してしまいますが、『一人ごっつ』から連なる『松ごっつ』や、98年から99年にVHSで制作された『VISUALBUM』では松本人志さんのお笑い哲学が研ぎ澄まされる一方、啓蒙的な側面も見受けられ難解な印象もあったのですが、『VISUALBUM』のDVDやブルーレイなどでコメンタリーで解説が聴ける様になった今となっては、その笑いどころもインストールされ、非常に面白く観ることができ、この時期こそ松本人志さんならではのペーソスや緊張と緩和を肝とした笑いを堪能できるという点で、この時期こそが彼のプレイヤーとしての全盛期と言えるのではないでしょうか。

 

そして、00年代には『松本紳助』をきっかけとして始まった『M-1グランプリ』を筆頭に、02年からの『働くおっさん人形』や『働くおっさん劇場』、04年からの『すべらない話』、09年からの『IPPONグランプリ』などが始まり、松本人志さんはプレイヤーとしてだけでなく観察者としての活躍が目立ってくる様になります。

またプレイヤーでもあり、観察者でもある『ガキの使いやあらへんで!』の「笑ってはいけない」シリーズがこの時期の2003年に始まったことはその過渡期だったと言えるのかもしれません。

 

そして、この時期松本人志さんが『放送室』などでも頻繁に発言していた様に、『ダウンタウンのごっつええ感じ』が終わって以降、自分のやりたい笑いが表現できる場所を常に模索していた一方、上記でもわかる通りプラットフォーマーとしてもお笑い芸人が活躍できる場所を常に作り続けてきました。

その動きというのが松本人志さんに影響を受けた芸人が次々と頭角を表すこととなる00年代のお笑いブームにバッチリハマったことは言うまでもありませんが、その最たるものが『M-1グランプリ』での審査員であり、松本人志さんが誰を評価したかは総合的な審査結果以上に注目されていました。

つまり、この時期は松本人志さんが面白いと評価するものこそが面白いことの基準になっていた時代だった訳です。

 

と言うように、90年代はプレイヤーとして、00年代は観察者やプラットフォーマーとしてお笑いシーンのトップに君臨していた松本人志さんですが、一方では07年の『大日本人』での映画監督デビュー以降、観察者やプラットフォーマーとしてのシーンへの貢献度の高さに対して、プレイヤーとしては自身のやりたいことが先走りすぎるきらいもあり、特に10年代に入って以降の『MHK』や『R100』、『ドキュメンタル』などでは観察者としてもプラットフォーマーとしても、時代のニーズや空気感よりも自身のやりたい笑いが優先され、90年代や00年代の様な誰もが無視できない存在というよりは、松本人志さんのファンに向けての笑いになっている様にも思えます。 

 

とはいえ、上田慎一郎監督と同様に松本人志さんから影響を受けたという人は非常に多いと思いますし、私自身、松本人志さんが1番面白い芸人だと思い続けてきた節もあります。

今、90年代や00年代と全く同じことをするには、時代錯誤な部分も少なくないとは思うものの、あの頃の才気走った松本人志さんの魅力というのは間違いなく平成のポップカルチャーの一側面として時代を象徴するものでした。

そんな誰にも想像がつかない様な発想をまた今の時代でも体感させて欲しいなと松本人志さんのファンとして思います。